パトリック・フートとは
ピカソの新しい造形表現、ダリの独特の奇想天外な画風、この偉大な2人をあわせ持つ
メガネ界の奇才である。
                                              小川都志朗

以前(10数年前?)、雑誌でtheoをひとめ見たときは
ピカソやダリの新しい造形表現や独特の奇想天外な画風という芸術を感じ,身震いをした覚えがある。

1952年12月30日、パトリックは眼鏡屋の5代目としてベルギーのメーネンで産声をあげる。
父親を11才で亡くし眼鏡屋は母親が後を継ぐことになる。

子供の頃、あだ名は 『馬の眼』。 本人曰く牛乳瓶の底のようなメガネを掛けていたから。1人で好きなレゴと遊び、飽きると漫画を読む日々を過ごす。やはりレゴは創造力や発想力には優良玩具なのか。
創造性の原点はここにある。と彼は述べている。

彼は後を継いだ母親の元で眼鏡屋として勉強し、夜間学校でデザインを学んでいた。
店は暇で退屈な日々を過ごす。
アーティストの勉強を始めるとある日、強い衝撃を受ける。アラン・ミクリの眼鏡である。(ミクリは1978年にミクリのブランドを発表している。)


      小川の衝撃眼鏡      当時、アメリカナイズされた小川は、モダンに蛙の吸盤を
                      モチーフにしたL.Aアイワークスとの出合いが小川にとって大変
                      強い衝撃を受ることになる。
                      第2回 IOFT 1989年だったと記憶する。
                      場所は晴海の国際展示場の人気のないブースであった。
                      アンティークのライティングデスクにディスプレーされた
                      蛙の吸盤(アイワークス)だった。 しかしながら、縁はなかっ
                      た。

      小川とミクリ         小川がミクリの眼鏡と出会ったのは1985年頃。 商社を介して
                      仕入れた覚えがある。当時のデザイナーズブランドとは違い
                      BADAと並び斬新で新鮮な印象であった。ミクリは後に直販
                      体制になり小川の店からミクリが消えた。非情なミクリのビジ
                      ネスには小川もショックを隠せなかった。暫くしてBADAも消え
                      た。小川のメガネ人生を大きく変えた気がする。今では懐かし
                      く当時を振返ることができる。
                
ミクリが刺激になりパトリックをデザイナーへの道に火をつけることになる。
メガネ業界を革命的に変えたのはミクリであると彼はいう。小川も同感であり誰もが認めているだろう。
パトリックは今でもミクリのファンであるという。

1983年にウィム・ソーメルスとsilmoで出会う。

198?年ウィム・ソーメルスとニューヨークのビジョンエキスポへ行く。
2人ともめがねを販売する仕事をしていて、びっくりするようなデザインのメガネを自分の店で売りたいと思い、一緒に探し回ったが満足できるものが見つからずパトリックが自分でデザインを始めて一緒に会社を作る。

1987年にウィムとtheoを立ち上げる。theoの名の由来はフート(Hoet)のアナグラムからつけた経緯は有名である。
1987年ミラノ MIDO展に非合法ながら出展したものが国際デビューである。メガネの入ったケース持って階段に立ち展示したという。後にICベルリンがSILMOでコートの裏にフレームを隠し、非合法で展示をしたことも語り草になっている。

パトリックの魂が吹き込まれた絵が約9ヶ月後に、フランスのジュラで見事なまでに二次元フレームとして誕生する。
革命的、前衛的ともとれるデザインは、ブルージュの中世の佇まいをそのまま残した中から生まれたデザインと誰が知るであろう。彼は子供の頃、劣等感が強かったと語るがコンプレックスからなる反逆なのか真の創造力なのか。

1989年SILMOのブースで正式に国際デビューする。
1995年にパトリックの思想を反映する 『アイ・ウィットネス』 を発表する。彼が最も作りたいラインで『人間の顔は左右非対称である』 このことからデザインコンセプトをアシメトリーにする。

アイ・ウィットネス初期の作品


パトリックはマルボロを片手に直感的にデザインする。

アパレル界におけるデザインの条件というものがあるようだ。
生活とデザインの関係に基づいた物づくりが基本的な問題であるという。創造するとき、機能性を満たし、装飾性を満たす美を要求する。
メガネも同じである。

紫煙をくゆらすパトリックの愛飲する酒はベルギービールのようだ。

ベルギービールを愛すパトリックは何を飲むのだろうか。銘柄が多い(約800を超える醸造所がある)ベルギービール、酵母入り甘酸っぱさと白濁が特徴のフーガルデン(ヒューガルデン)ホワイトか、甘味がありフルーティなベルビュー・クリークか。テオジャパンのクルト曰く、この銘柄がベルギーではもっともポピュラーなビールであるらしい。その為か、ベルギー大使館でのテオパーティーにはフーガルデンホワイトとベルビュー・クリークで持て成してくれる。

ちなみに小川の好きなベルギービールはキメ細やかなあわ立ち、いやみのない味ステラ・アルトワである。酒の肴はフリッツで充分。クリスマス限定ホットビールは絶品である。チャンスがあればお試しあれ。

パトリックは生え抜きのメガネデザイナーである。
日本のデザイナーによく目にするのは、フィッティングの経験がない、眼鏡販売の経験がない、ただメガネが好きだからという理由でメガネデザイナーを志す人がいる中、嬉しいことにパトリックは正真正銘の生え抜きのメガネデザイナーである。

なぜ生え抜きにこだわるか。
私が生え抜きとあえてこだわるのは、パトリックの家業がメガネ店でオプティシャン(眼鏡技術者)の経歴があるからだ。美的、光学的、力学的なメガネの3要素を彼は熟知しメガネをよく理解していたからだ。

theoのビッグ・ボスもかつてソーメルス・オプティークの経営者であった。現在は妻のヤンメが店を切り盛りしている。
ウィムがデザインに気を払っているのは小さい顔、丸い顔、長い顔、細い顔といった特徴を頭に置いてデザインしている。丸い顔は本人(ウィム)を想定しデザインしているようだ。theo hall #1の中で 『新製品の中に自分の顔に合ったものをいつも入れるようにしています。』 丸型のフレームがそれだ。メガネの作り手は自分のかけたいメガネを新作に是非入れたい気持ちは十分理解できる。

ウィムは 『theoを単なるブランドではなく、それを掛けていればお互いにすぐに分かるので、人々を結びつけてくれるんです。一種の連帯感のようなものが生まれる点が、個人的にtheoのすばらしさだと思います。』

パトリック曰く
『メガネのデザインは顔の形態学に左右され目、瞳孔距離、鼻、耳などの前にメガネを心地よくかける方法は1000通りと決まっているわけではない。これが我々の挑戦となる。』

彼は出来上がったメガネは未完成という。まともな眼鏡技術者なら彼と同じ考えであろう。

『最終的には質だけではなく掛け心地である。しかし、理想的な掛け心地を提供するのは、私たちだけでなくオプティシャン(眼鏡技術者)に委ねるしかない。眼鏡技術者は、メガネを頭の形に合わせ理想的なフィッティングを提供しなければならない使命を持っているのです。』 と彼は述べている。

これほどまで最終のフィッティングまでこだわり考えてデザインをしている、どこかのデザイナーも見習いたいもんだ。

仕上げに技術者が調整することでtheoの完成になる。
パトリックはただ単にひらめきでデザインをしているのではなく人間工学に基づき、理論に裏づけられた礎があってのデザインである。

眼鏡技術者の経験がある彼、パトリックだからこそ語れるポリシーではあるまいか。
このポリシーが生え抜きのメガネデザイナーに小川がこだわる所以である。
我々、眼鏡技術者が最後にフィッティング作業をすることでパトリックの想いが完成品に伝えられる。

彼は人間の顔は左右対称でないことを理解しデザインしている。
『人間の顔は左右対称でない』 このコンセプトからできたのが『アイ・ウィットネス』である。
デザインだけでなくフィッティング調整が容易にできるのが賛同できる。

最近のメガネデザイナーたちが、人間の顔が左右対称でないことをどこまで理解しているだろうか。
デザインは勿論、質感などにもあまりにもこだわりすぎてフィッティング調整が出来ないものを多く作ってくるからだ。デザイナーの中には調整できなくても売れればよい。仕入れる店があるから作る。と、あまりにも販売店を馬鹿にしたデザイナーや作り手の安直な考えには目に余るものがある。
  
パトリックは 『どんなすばらしい眼鏡でも、かける人に似合わなければ醜い眼鏡です』と語りかけている。
彼も商売人の端くれ、常連のお客様が似合わないメガネをどうしても欲しいと言われると負けてしまうようだ。彼は似合わないメガネをお買い上げいただいた常連のお客様に一言お願いをするようだ。『このメガネはフートの店で買ったとは決して言わないで下さい』 この気持ちは理解できる。一見さんにはお断りできるが常連さんとなれば話は別だ。神の子ではなく彼も人の子である証だ。

theoがネット販売に出ている。パトリックの意に反し販売している技術者?がいる。店の客寄せにtheoを利用しているのだろう。悲しむパトリックが目に浮かぶ。


パトりック哲学
当たり前のことは考えない。新しい疑問は新しい答えをもたらす。そして、あらゆる答えが新しい疑問を投げかける。
お客様は王様だ。  我々の価値観を尊重する限り、美学、機能性、技術、経済の健全なバランスによって価値観が保たれる。
何事においても、パトりックの一家は型にはまることなく、自分の道をひたすら追求する。
しかし、兄弟愛と思想の自由というもっとも基本的な社会的価値に反することは決してしない。

パトリックのデザイン哲学
『人間の表情は目ではなく眉である。
眼鏡はかけている人の個性をサポートしなければならないものであり、個性を決め付けるものであってはならない。眼鏡は目立つように、しかし、目立たないものでなければならない。』

パトリックが頑張ってこれたのは、母への想いから彼が『自分の存在を母に認めてもらいたい。』 『自慢の息子でありたかった。』 と、パワー(奇才)の源は母と語る。11才で父を亡くし働く母にかまってもらえず寂しい日々を過ごし、親子愛の深さを確認したかったのだろう。 彼の母を慕う強い気持ちが彼の才能を引き出せたと思う。

2003年麹町の駐ベルギー大使公邸においてテオパーティが催された。
パーティでパトリックとお会いした際、ウィムの社交性とは逆にもの静かな印象であった。
快く写真を一緒に撮っていただいた覚えがある。愛煙家のようで大使公邸の庭へ幾度となく灰皿の前で1人佇み喫煙していた。目と目が合うと、上目遣いで少しはにかみながら笑顔が帰ってくる。どこか清廉な少年の面持ちに見えた。





パトリックはメガネのデザインに飽き足らず、時計や椅子などの家具にも精力的に活動を続けている。

パトリックは20数年間メガネ店の経営をしていたが以下の理由で辞めた。
『お客さんが合うメガネを見せてくれとやって来て、二つほど選んで差し上げると、お客さんはまた別のを指をさすんだよ・・・・・・・まったく』 彼流メガネポリシーは理解できるが、私たち凡人の技術者にとっては商売人の顔もあるのでとても出来ない接客である。せめて3本以上は掛け比べたい。
そう、あなたは商売人には向かない。似合わない。デザイナーが似合う。

パトリックは前の奥さんリアとの間に三人の娘を作った。
現在はパトリックの次女ロッテが6代目を継ぎご主人のフレデリックとブルージュの店とブリュッセルの店 “フート・ブティック ” を守っている。

パトリックのデザインを真似することは出来てもパトリックの才能は真似できない。
                                              
小川 都志朗

テオパーティにて



                                       





                                     theo hall#1〜#7より

パトリック・フート

Patrick Hoet

ウィム・ソーメルスがTheoの商売を考える頭脳つまり経営者とすれば、パトリック・フートは製品を創りだすひらめきの精神である。パトリックの仕事は眼鏡をデザインすることであり、新しい発想を創りだすことでもある。