22,10,2005
10月22日(土)パリ2日目、時差ぼけ残る5:30AM起床。6:30ダイニング一番乗りの客。
愛想の良いスタッフが日本語で“おはようございます“。我々は“ボンジュール”と返す。
クロワッサンやフランスパンの美味しいビュッフェ。つい食べすぎて反省。
今日の予定、蚤の市ではパリ最大級のクリニャンクールへ。
廃品回収業者たちが、露天商となったのが蚤の市の起こりだそうだ。
メトロCで終点ポルト・ド・クリニャンクールまで行く。大方の乗客は蚤の市へ向かう。
日本人観光客のご一行様と同じ群れになり到着。
途中、イスラム系露天商の商人が日本語で我々を誘い込もうとするが素通り。
少し早すぎたのか、無表情でオープン準備に追われる蚤の市。賑わいも、いまひとつ。
目的の物を隈なくさがすが、あぁ無念。限られた時間やむなく次の目的地へ。
小雨降るシャン・ド・マルス公園から見たエッフェル塔
設計者の名をつけたパリのシンボル。
向こうにはシャイヨー宮。
ナポレオンが砲兵少尉で卒業した旧陸軍士官学校
1773年完成。歴史ある建造物が何気なく並んでいる都市パリ。
歴代国王の宮殿だったルーヴル美術館。
モナ・リザが呼ぶが無視する。入館すると
一週間は出れないようだ。
マラシも準備中。メガネの骨董品も見つけたが
状態があまりよくなく購入を断念。
路地裏のクリニャンクール。
サン・ピエール広場前の絶好の場所、ブラッスリーから観た
サクレ・クール寺院。この写真の下にはテラス席がありビール
片手の観光客で満席状態。
映画『アメリ』で、アメリがなぞの男を追いかけてきたところである。
また、この公園では若者が『幸せになる? バングル』のような物
を弱い女性や子供を狙い、言葉巧みに売っているので暴利に
気をつけたいものだ。
左側がオススメのブラッスリー。バケットのサンドウィッチとビールそして、眺望とトイレ付で10ユーロ。担当の給仕がラフなセッティングだったのでチップはなし。ビールの種類が少ない。ベルギーのステラ・アルトワがない。ハイネケンで妥協。
キリスト像より手前のジャンヌ・ダルク像が印象的な
サクレ・クール寺院。
ヴィレット公園から観たパリ。右上ののっぽビルがモンパルナス・タワー。
2005 SILMO シルモ展
シルモ展会場のポルト・ドゥ・ヴェルサイユ
会場前の道路は工事中で車は歩道に迷惑駐車。
ワンちゃんの糞も迷惑。マナーの国フランスだ。
会場内の巨大メガネのオブジェ。
オープン間なしの会場内。
この後人・人・人でごった返す。
4日間で40、000人以上の来場者が世界から
訪れる。
商談中のテオのクルトさん。この3日後、テオ本社を案内してもらう。
ロドキン買い付け後のSAMAロス・ヴァンスと。
彼はSAMA シーラ・ヴァンスのご主人である。
この門構えは 『SAMA』 のブースです。
ルーヴルの西に位置するカルーゼル凱旋門。ナポレオンの勝利を記念して1808年に建てられた。
エトワールの凱旋門より一回り小さい。
モンマルトルの丘
クリニャンクール
時間がなくクリニャンクールを後にし
メトロ12でアベスへ向かう。オ・ラパン・アジル、ピカソ
常連のシャンソニエだ。是非訪れたいナンバーワン
だったがここでも時間に負けた。次回は必ずと誓う。
特撮ではありません。
哀愁を感じさせるモンマルトルの石畳の階段。街灯、バルコニーの花は映画のワンシーンを飾る自然の大道具。トレンチコートのジャン・ギャバンを思い出す。
アントワーヌ少年がこの道を走り回ったのか。
<パリで一番高い山>
会場内には2軒のスナックスタンド
があり、1軒はPAULのパン屋。
日本にも店があり大阪では
阪神百貨店地下食料品売り場に
出店している。本当においしい。
もちろん、昼食はPAULのサンド
イッチとビール。
モンマルトルのもう一つの名物
テルトル広場。大道芸や無名画家
の似顔絵描き、われら日本人には
やたらと声をかけてくる。お人よしの
日本人は上得意なのだ。
パリ市内からドームをもった
純白のモスクのような建物が
観える、それがサクレ・クール
寺院である。モンマルトルの
いやパリの名物だ。
ユトリロがこよなく愛したモンマルトルの路地裏。
シルモドール(部門別)はJF.REYのセカンドライン
BOZが金賞を受賞。ジーケネもご他聞にもれずちゃんと
仕入れました。
ボヘミアンの町
モンマルトル